1. >
  2. >
  3. ボランティアに参加するつもりです

ボランティアに参加するつもりです

子供

社会貢献考える

ボランティアというと、なんだかかっこいいと思った時期がありました。
まだ、お尻の青かった時代の話で、社会のためにという根拠がよくわかっていない正義感にかられたものです。
結果を見れば、仕事という現実に追われ、ほとんどすることができなかったのは、ほかの人と変わりません。

しかし、現実的に定年ということが見えてくると、何か社会貢献ができることはないのだろうかと思ってしまうようになりました。
へたな正義感ということではありません。
自分ができることを、自分の身の丈で伝えたり、お手伝いしたりすることができれば、何かを残すことができるのではないかと思うのです。

おそらく歳を取り、現実というものがはっきりと見えるようになったのでしょう。
できないことはどんなに無理してもできないのですから、本当の意味でボランティアというものが見えてきたのかもしれません。

ボランティアという名前や形にこだわりたくはない

ボランティアにもいろいろなものがあります。
私が考えているようなものは、何か特別なことをするのではなく、日常のお手伝いができるようなものが良いなと思っているのです。

簡単に言えば、普段のお話を聞いてあげたりするのもボランティアでしょう。
何か強力なことをしなくても、老人会のようなところでお話を聞いてあげるというのは重要です。
そういった何気ないことをやってみたいと思っています。

ただ、こういうことをしようと思うと、必ず出てくるのは団体とかでなければ意味がないとかいう意見でしょう。
ちょっとしたことから始めるボランティアは迷惑だというのです。

特に熱心にやっている人からは、バッシングされることがあります。
学校や研修会に出ていなければ、活用することもできないではないかというのです。
ですが、これは本当にボランティアなのでしょうか。

迷惑にならないようにすれば、勝手にすればいいという意見も聞いたことがあります。
そもそも、そんな人たちがやっているのは、ボランティアともいえないはずです。
こういった人たちからは、へたをすれば悪いことをしなければご自由にとまで言われてしまうこともあります。

なんだか日本人の器量は狭くなったなと思う瞬間です。
話を聞いてあげたりするようなことは、日常からやってきたことで、隣のお年寄りが大丈夫か日常的に気をかけていたりしたでしょう。
そんな繰り返しだったはずが、だんだんとおかしな方向に行ってしまったような気もします。

何にしても、難しい面があるのは確かです。
人の役に立つからボランティアと考えるのではなく、本当の意味でのボランティアができるようにしてみたいと思っています。